2022年も今日まで。昨日まで宮古島。本当に楽しんだ。天気も何とかもち、きれいな海を堪能した。と言っても、アクティビティらしい何かをするわけでもなく、海水に足をつけてみるくらいで、あとは運転していたくらい。それでも、またすぐに行きたくなる。
おうちの人は旅行先から、うなじの辺りがひりひりするといい、病院で診てもらったところ、やはりというのか、帯状疱疹の可能性大。
こちらは、そんな中、朝から洗濯、掃除、買い物と日常の延長で一日が終わる。そして今洗濯物の取り込みも終わった。ちょうど今日、前より読み進めていた出口さんの「哲学と宗教全史」をようやく読み終わった。最後のくだりとしては、哲学も構造主義のようなところで、一区切りのようにも読み取れた。しかし、そもそもが宗教と哲学の全体を浅くでも、それを体系的に習得している人がどれだけいるのだろうと思う。そこまで行って、そして次は?と考える、のだろうけど、環境、構造というのかも変化するだろうから、次の世界も無限、というのは素人の感想なのだろうか。
2022年も色々あった。とくに今年は近い人が2人亡くなったので、死を身近に感じた。楽しまなくては、というと強制されているようだけど、もう少し日々を緩くして、いつその日が来ても、ということだけは考えるようになった。仕事上の先輩方がなくなると、同じような生活をしている自分も、無理は効かず、どこかで同じように、そんなに遠くない将来に日にそうなる可能性もあるのだろうと思う。
みんな平等に死へと向かっていることは、知識としては理解しているが、インプレッションとしては理解していない。そこ数年、数十年の違いなんだろうけど、どこまで行っても、自分だけには来ないような、関係ないような、そんな中にいる気がする。でも意識は強くなった。
そんな死を意識していると言いつつ、日々の仕事では追い詰められ、仕事を辞める辞めないで頭を悩ませたりもした。矛盾しているようにも感じるし、だったら仕事なんていつ辞めてもいいよ、という気楽な気持ちも少しずつは大きくなっている気もする。もっと若いころはその仕事人生がいつまで続くのだろう、だからやめることはできないという意識が強かったが、この年になると、いわゆる定年も近く、そこまでなら、という思いの中であるいみ軽く、手も抜きながら、割り切りながらできるようになった。
今は年末年始の仕事から離れているので、こんなことも書けるが、仕事が始まるとまた忙殺されて、辞める辞めないの中に戻るのだろうか。果たしてどこまで行けるのか。未来のことなんて考えても仕方ない、と思いつつ、でもやはり楽をしたいとか、安心したいとか、そんな中で日々の生活を送る。宗教や哲学を知ることで楽になるのかというと、それだけではない。でも何も知らないよりも、少なくとも先人も同じように悩み考えたという事実があり、そこで一つ一つの答えを出してきているので、そこは知った方が、より充実した日々が送れる気がする。単純に知的好奇心、興味があるというだけでいいのかもしれない。


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